【2024】青木さやかの学歴や経歴、年収は?エピソードまとめ

今回は青木さやかの一部にはなりますがご紹介します。

青木さやか

1973年3月27日生まれ

出身 愛知県尾張旭市

O型

165㎝

事務所 ワタナベエンターテインメント

フリーアナウンサー タレント 女優 司会者として活動

  • 尾張旭市立城山小学校
  • 尾張旭市立旭中学校
  • 愛知県立瀬戸高等学校
  • 名古屋学院大学

小学校時代のエピソード

3人家族でひとりっ子でした。

両親は父親が小学校の教頭を母親は校長をされていたそうです。

そのため子供の頃から厳しく育てられ、小学校時代はテレビも自由に見ることができずに

当時流行っていた番組などは見せてもらえなかったとか

3歳からピアノを始め、他にも書道や水泳などの習い事もされていたそうです。

中学校時代のエピソード

中学時代になってようやくテレビが自由に見れるようになったそうです。

水泳部に在籍し、部活動に打ち込んでいました。

加えて当時ピアノにも励んでおり、将来は音楽大学に進学したいと思っていたそうです。

高校生時代のエピソード

高校時代は英語クラブに在籍されていたそうです。

また親が厳しく真面目に育ってきたためか、

同じクラスの女子に名古屋市内から通っていた女子の髪型やスカート丈などに

カルチャーショック受けたとか

またこの時期に両親が離婚し母親に引き取られましたが家族関係にひびが入ったそうで

その後も母親とは距離ができてしまったそうですが、後に和解されたそうです。

大学時代のエピソード

大学時代は放送文化研究会のアナウンス部に所属されていました。

最初は友達に誘われて軽い気持ちで入ったそうですが、活動していくうちにどんどん楽しくなり

この頃からアナウンサー志望になったそうです。

また大学時代にミスコンなどにも出場されていました。

加えて当時から名古屋市内の芸能事務所 名古屋タレントビューローに所属して、

タレントとしても活動されています。

就職活動ではアナウンサー試験を多数受けるも、全て不採用だったため

卒業後はそのまま名古屋タレントビューローに所属している。

  • 中京ローカルのフリーアナウンサーとして活動
  • 1996年にお笑いに転身
  • 2003年にワタナベエンターテインメントに移籍
  • 2003年頃からレギュラー番組が増え、お笑い番組でもブレイク。以後はお笑い以外にも女優業や司会業などとしても活動
  • 2005年に写真集を発売
  • 2007年結婚
  • 2010年1子誕生
  • 2012年離婚
  • 2017年と2019年には肺がんに罹り、2度の手術を行った
  • 現在は女優業なども継続しながら啓発活動や動物保護を呼びかける活動などもされている

卒業後のエピソード

中京ローカルのフリーアナウンサーとして活動していたが

「面白いタレントになりたい」という自己PRを番組内でお笑い志望として紹介されたことをきっかけに

お笑いに転身、1996年にデビュー

一時期、五人組ユニットを組んでいたが脱退。

しばらくはフリーで活動していたが、ワタナベエンターテインメントのライブにゲストで出演した際

同社長 渡辺ミキにスカウトされ移籍。本格的に東京で活動を始める

2003年に写真集発売された当時、数々のレギュラー番組などももち

年収が1億円以上いったと言う話はよく聞いたかと思いますが、その後は番組減少

当時に比べれば番組量は減少してますが、まだまだ番組をもっています。

年収が最大の時に比べ10分の1になったとおっしゃってることから1000万付近が予測できます。

今回は青木さやかさんの一部ですがご紹介させていただきました。

2024年8月にもドラマに出られてまだまだ現役にやられており、

これからも多才な姿を見せてほしいですね。

最後まで御覧いただきありがとうございました。

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